全国の蒸気機関車を廃止へと追いやり、
国鉄の全列車無煙化達成の立役者となった車両、
それがDD51というディーゼル機関車です。

改めて説明する必要がないほどの名機であり、
同時期のEF65やED75と同様、大量生産されて貨客輸送に徹しました。
その普遍性と、SLをはじめとする旧型機関車を追いやった張本人として
嫌われ者だったのがこの時代の機関車の立ち位置であり、
高度経済成長期を支えた立役者として後年人気が出るのも同様ですね。

そんなDD51ですが、こと1179号機と1186号機が脚光を浴びています。
西日本豪雨で寸断された山陽本線を迂回して貨物輸送を行うべく、
迂回経路の山陰本線でこの両機を使った乗務員訓練が始まったためです。

特に1186号機は子供の頃お世話になった機関車であり、
災害時のイレギュラーとはいえ再び脚光を浴びる時が来るとは思いませんでした。

ということで今日は、1186号機の応援を兼ねまして、
定期列車を受け持っていた末期の1186号機の写真をひっぱりだしてきました。


2006年3月某日 鳥取にて DD51 1186+24系 寝台特急出雲
DSCN2519-1
JR西日本所属のDD51のうち、後藤総合車両所の機関車が
寝台特急出雲の牽引に充当されていました。
国鉄色のDD51が牽引する定期ブルートレインはこの出雲が最後という状況が長らく続いており、
しばしば重連を組むこともあって絶大な人気を誇っていましたね。

写真は最末期の下り出雲で、このときは下関区のEF66のように
区名札に流星マークが差し込まれていました。
ちょっとしたマークですが、寝台特急牽引指定機としての証であり、
どこか誇らしげでした。


2006年3月某日 出雲市にて DD51 1186+24系 寝台特急出雲DSCN2555-1
終着出雲市での一枚。
このとき私は中学生でしたので写真の出来はイマイチですがご容赦ください。
この駅は駅舎は素晴らしいのですがホームは普通の高架2面4線なので、
終着駅らしさが全くないのが残念です。

この1186号機はお召し指定機としても選定されており、
2000年代に入ってからもサロンカーなにわを牽いてお召し列車を担当していました。
また、上り最終となった出雲の米子~京都間も担当しています。
模型ではTOMIXより"さよなら出雲"で製品化されましたね。
あれからもう12年が経ちました。


2005年8月某日 米子にて DD51 ?+24系 寝台特急出雲
DSCN2181-1
何号機かわかりませんが、こちらは2005年夏の写真です。
末期は1121・1179・1186~1188の5機が出雲に充当されました。
上下列車とも重連でも予備が1機残るよう配置されていたのかもしれません。

DSCN2452
通常は電源車+8連でしたが、繁忙期は3両増結の11連で運転されていて、
この米子で後ろ3両を切り離していました。

また、後藤総合車両所は米子駅近くにあるため、上り出雲が米子で機関車を交代していました。
同一車種の交代なので、ちょうど寝台特急日本海やトワイライトEXPの敦賀と同じパターンですね。


さて、出雲廃止後は1179と1186の2機体制で、
山陰地区の工臨と時たまやってくる臨時列車を担当していたようです。

このままゆっくりとフェードアウトしていくのかと思いきや、
ここにきて再びスポットライトが当てられました。
実際の迂回貨物運用はJRFの愛知機関区所属機を充てるのかもしれませんが、
訓練や予備機として必須の存在となることは間違いなく、
先も長くないであろう両機の最後の輝きになるかもしれません。